石原慎太郎『天才』あらすじと感想~評価は高い?

石原慎太郎『天才』


 

すでに50万部を突破している『天才』(石原慎太郎著・幻冬舎)。

本書は田中角栄が、「俺」という一人称を使って自らの生い立ちから死の瞬間までを語る、自叙伝的な構成になっています。

著者が田中角栄になりきって書いているからか、帯には「衝撃の霊言!」のコピーが…。

 

霊言」という言葉は違和感を伴いがちなので、否定する人も多いのではないでしょうか。

ただ著者の立場では、ロッキード事件は田中角栄にとっては冤罪であり、当時田中角栄の存在を消したかったアメリカの策謀だったとする内容なので、このコピーもいたしかたなかったのかもしれません。

 

この本は政治的な内容ばかりではなく、田中角栄の人間的魅力や、抱いていたコンプレックス、また私生活での軋轢などが描かれているので、興味深く読みました。

政治面では、日中国交正常化やロッキード事件の内幕について、割合ページがさかれています。

田中角栄ブームの中、角栄氏についてよく知らない人には本書は最適な入門書だと思いました。

 

今の日本の発展を、亡き後もその影響力で支えてきたとも言われる田中角栄。

その人物の生き様を、読者は田中角栄の立場になって振り返ることができるので、とても意義のある本だと思います。



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本書のあらすじと構成

本書は220ページほどの小説ですが、全体に上下の空白が多く、文字と文字との間隔も広く取ってありますので、読みやすく、サクサクページをめくることができます。

特に予備知識がある人は、読み終わるまでにはそう時間はかからないと思います。

 

著者の「あとがき」はありますが、それ以外は章による区分けはなく、ただただ田中角栄が自らの人生をひとり語りしている構成になっています。

巻末には、充実した年譜や田中角栄が提案者となって成立した議員立法が掲載されており、参考文献とともに充実した資料になっていると思いました。

 

以下は、本書のあらすじ及び内容になります。

高等小学校卒という学歴ながら『日本列島改造論』を引っ提げて総理大臣に就任。

比類なき決断力と実行力で大計の日中国交正常化を実現し、関越自動車道や上越新幹線を整備、生涯に30以上の議員立法を成立させるなど、激動の戦後政治を牽引した田中角栄。

その経歴から総理就任時には「庶民宰相」「今太閤」と国民に持てはやされ、戦後では最高の内閣支持率を得たが、常識を超える金権体質を糾弾され、総理を辞任。

その後、ロッキード事件で受託収賄罪に問われて有罪判決を受けるも、100名以上の国会議員が所属する派閥を率い、大平・鈴木・中曽根内閣の誕生に影 響力を行使。

長らく「闇将軍」「キングメーカー」として政界に君臨した。

そんな希代の政治家・田中角栄といえば、類まれな権謀術数と人心掌握術に注目が集まるが、実はスケールが大きいわりに人一倍デリケートな一面があった。

浪花節と映画をこよなく愛する、家族思いの人情家だったという。

強烈な個性をもったリーダーが不在の今、自らも政治家として田中角栄と相まみえた著者が、毀誉褒貶半ばするその真の姿を「田中角栄」のモノローグで描く意欲作。

数字に強い、駆け引きが上手い、義理人情を欠かさない。それが高等小学校出の男が伸し上がる武器だった――。

※引用:Amason『天才』

上記の補足ですが、高等小学校卒の年齢は現在に換算すると、14歳(中2卒時の年齢)になります。

だから現在の小学校卒というわけではありません。

当時の学校制度は複雑で私には説明できませんが、合計8年間の初等教育を受けたことになるようです。

 

また、家族思いの人情家と書いてありますが、愛人を何人も囲うことにより、家族、特に子どもへの悪影響があったことが本書から伺えます。

例えば娘の田中真紀子氏が他の誰よりも角栄につらくあたり、孫にも合わせない間柄だったとか、

愛人秘書の佐藤昭(後に昭子と改名)の子がリストカットや飛び降り自殺未遂をしたことはよく知られている話です。

 

本書で田中角栄が回想しているのですが、もし、5歳で亡くなった息子がいれば、同じ男として少しは自分の味方をしてくれたのではないか、と嘆いています。

英雄色を好む」とはよく言われることわざですが、J・F・ケネディやビル・クリントン、チャーチル、ミッテランなどなど、デキる男はそういう傾向にあるのでしょうか。。



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一番印象に残ったページ

一番印象に残ったページは、やはり大蔵大臣の就任挨拶

これは田中角栄の名言集にも必ず載っている、名言中の名言だと思います。

「私が田中角栄だ。私の学歴は諸君と大分違って小学校高等科卒業だ。

諸君は日本中の秀才の代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。

私は素人だがトゲの多い門松を沢山くぐってきていささか仕事のコツを知っている。

これから一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。

我と思わんものは誰でも大臣室に来てほしい。何でもいってくれ。一々上司の許可を得る必要はない。

出来ることはやる。出来ないことはやらない。しかしすべての責任はこの俺が背負うから。以上だ」(49ページより)

余談ですが、名言集では最後の「俺」は「ワシ」になってます。

ちなみに本書の一人称は「俺」に統一されていますが、私の印象では田中角栄は「ワシ」。

でも調べてみたら新潟弁の一人称は「オレ」なんだそうです。

私生活では「オレ」を使ってたのかが、個人的に気になっているところです。

 

世間の評価は?

世間のこの本に対する評価はどうなっているのでしょうか。

ざっと見る限りでは、飛び抜けて良いというわけではありませんが、全体的には支持されている雰囲気です。

このような本は、政治家でしか書けない側面もありますが、それゆえ感情で不支持にしている人も多く感じます。

全体的には本書は好意的な意見が多いので、こちらでは少し辛口の批評をしているサイトをご紹介してみます。

『天才』は、田中角栄氏が、もっぱら一人称「俺」として、しかし著者の石原慎太郎氏のボキャブラリーで語り出す、職業作家が書いたにしては何とも素朴な作品だ(例えば、田中氏が「エスタブリッシュメント」などという単語を使うとは思えない)

(中略)だが、二人の資質には大きな差があった。

田中氏の、人の感情を読み且つ掴む能力、お金の動きに対する理解、数字に対する強さ、記憶力、決断力、などに比肩しうる能力を持つ人間は、そもそも稀有だ。

比較すると、石原氏は「スター性のある凡人」に過ぎなかった。

お二人とも、平時には、周囲を明るく照らすような、余人にない「華」のある人だった。

しかし、両人には、能力以外にも、自分が追い詰められた時に、 頻繁に瞬きして照れたり怒ったりする「イライラして狭量」を感じさせる石原氏と、

あくまでも相手の眼を見つめながら、開き直ったり自分を笑い飛ばしたりで きる「胆力と愛嬌」を使って勝負が出来る田中氏の人柄と度量の違いがあった。

『天才』は、石原氏が田中氏を心から羨やましく思ったことの告白として読むのが適切な本だ。

※引用:現代ビジネス>なぜいま、角栄ブームなのか~石原慎太郎まで乗っかる、その「うま味」

 

感想&まとめ

表面的にしか知らなかった田中角栄を、今回掘り下げて知ることが出来ました。

もしロッキード事件で田中角栄が無罪になっていたら、今の日本はどう変わっていたのでしょうか。

最後に本書の「長い後書き」から石原慎太郎氏の言葉を引用してみます。

いずれにせよ、私たちは田中角栄という未曾有の天才をアメリカという私たちの年来の支配者の策謀で失ってしまったのだった。

歴史への回顧に、もしもという言葉は禁句だとしても、無慈悲に奪われてしまった田中角栄という天才の人生は、この国にとって実は掛け替えのないものだったということを改めて知ることは、決して意味のないことではありはしまい。(216ページ、長い後書きより)

 









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