親日国エピソード満載!「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか」理由と感想

池間哲郎「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか」


 

今回読んだ本は『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか 』(池間哲郎著、育鵬社)。

何年か前、国際ボランティアに興味があった時に著者の本を読みましたが、今回は日本の素晴らしさを解説した本になります。

著者は沖縄出身のため、土地柄や戦後教育の影響もあり、昔は日本が嫌いだったそうです。

 

著者の考えが変わるきっかけになったのが、昭和50年の通称「ひめゆりの塔事件」。

今上陛下が皇太子の頃、戦後初の沖縄訪問を決行されたのですが、その時にひめゆりの塔内に潜んでいた2人組が、火炎瓶を当時の皇太子同妃殿下へ投げつけた事件です。

ひめゆりの塔事件(ひめゆりのとうじけん)は、1975年7月17日に沖縄県糸満市で発生した、日本の新左翼系過激派による皇太子明仁親王(当時)および同妃美智子に対する2つのゲリラ事件の総称である。

皇室としての第二次世界大戦後初の沖縄県訪問に際し、皇太子および同妃に、新左翼党派・沖縄解放同盟準備会(沖解同(準))と共産主義者同盟(西田戦旗派)の各メンバー2人が、潜伏していた洞窟(ひめゆりの壕)や白銀病院から火炎瓶やガラス瓶、スパナ、石を投げつけたテロ事件。

皇太子および同妃や関係者に大きな怪我はなかった。
※引用:ウィキペディア「ひめゆりの塔事件」より

大事件だったので、著者は以降のスケジュールはてっきりキャンセルになると思い込んでいたのですが、その予想は外れて予定通り決行。

沖縄訪問はかなり危険なことが事前にも伝えられていたので、覚悟の上での来沖だったことと、事件の際に説明係のひめゆり女子学徒隊生存者の安否を必死になって気遣う天皇に、教えられていたこととの違和感を感じたそうです。

それから自分自身で日本や沖縄の歴史を勉強し、実際にアジア各国の現地の人々と話す中で、いかに日本が信頼され、愛されているかを身をもって感じたといいます。

 

今回の本は著者の経験に裏打ちされたものであり、じっくり読んでみたのですが全文とても説得力がありました。

特に前半の親日国と言われる国々の日本に対する印象は、前半だけ読んでも値打ちがあるくらいとても素晴らしいレポートでした。

今回は図書館で借りたのですが、購入して手元に置こうと決めました。

それでは本書で感動したことなど少し書いてみたいと思います。



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本書の内容と構成

 

戦後70年、日本の誇りを取り戻そう
アジアの人たちが教えてくれた本当の日本!

本のソムリエ清水克衛氏(書店「読書のすすめ」店主)絶賛!

第1部 アジアの人たちが教えてくれた本当の日本
①カンボジア……暗い夜道を女の子が一人で歩ける、日本の奇跡の治安
②スリランカ……なぜアジアの指導者たちは日本を尊敬していたのか?
③パラオ……涙なくしては語れない、ペリリュー島と日本の関係
④ミャンマー……「日本人が工事をすると見事な道路ができ上がり、なかなか壊れない」
⑤ネパール……戦争で叩き潰されても起き上がってきた日本はネパールの希望の星
⑥ラオス……日本人の無償の愛が小学校を完成させた

第2部 日本はなぜアジアの国々から愛されるのか
⑦アジアの人たちから尊敬される日本
⑧なぜ「アジアから嫌われている」と思うのか
⑨日本人の誇りを取り戻すために
⑩仁義ある戦い――東日本大震災と自衛隊
⑪日本国民のために――天皇

【著者略歴】
池間哲郎(いけまてつろう)
一般社団法人アジア支援機構代表理事、認定NPO法人アジアチャイルドサポート代表理事、カメラマン、沖縄大学非常勤講師(国際ボランティア論)

※引用:Amazon『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか』

本書は約240ページ(単行本の場合)の丁度半分で第1部と第2部に分かれており、前半が親日6国が語る日本の印象、後半がアジアの国々から日本が愛されている理由を、実際の体験から考察されています。

途中のコラムも秀逸で、日本の知られざる偉人が5人登場するのですが、ヘレン・ケラーやエジソン、チャップリン成功の影には日本人がいたとのこと、知らなかったのでとても感銘を受けました。

以下に、印象に残ったところだけ簡単にまとめてみたいと思います。



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親日各国の日本への思い

親日国と言われる各国々が日本にどのような思いをいだいているのか下記に簡単にまとめてみます。

カンボジア

カンボジアは1954年に太平洋戦争における対日賠償請求権を放棄しています。

そのとき日本は、カンボジアの愛ある行動に感謝して、経済や技術面での協力を提供して善意に報いると返しました。

※余談ですが、イタリアは日独伊三国同盟で戦ったにも関わらず日本敗戦の1ヶ月前に対日宣戦を行い、また日本との戦いが無かったにもかかわらず、戦後賠償請求をしてきたことを著者はかなり憤ってました。

 

著者の出身地沖縄では、カンボジアの大衆も日本嫌いだと教えられていたので、今でも日本を恨んでいるのか現地の人に聞いてみたそうです。

「日本を恨んでいる人は誰もいません。全く反対です。白人たちを追っ払い、アジアのために戦った。多くの日本人が命を失った。徹底的に破壊された日本。日本がかわいそうだと思っていた」と年長者が言った。すると全員がうなずいた。(中略)

「カンボジアも日本と同じように戦争ですべてを失った。日本は手本です。日本人が、私たちもやればできると勇気を与えてくれる」(40ページより)

 

スリランカ

スリランカも対日賠償請求権を放棄した国です。

1951年のサンフランシスコ講和条約で、感動的な演説を行ったのは当時セイロンのJ・R・ジャヤワルダナ氏(後のスリランカ初代大統領)。

以下は解りにくい文章になってますが、ほぼ原文通りに表現したとのことです。

「なぜ、アジアの諸国民は日本が自由であるべきだと切望しているのでしょうか。それはわれわれと日本との永年にわたる関り合いの故であり、またアジア諸国民が日本に対して持っていた深い尊敬の故であり、日本がアジア諸国民の中で、ただ一人、強く自由であった時、われわれは日本を保護者として友として仰いでいた、深い尊敬の故でもあります。

この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアのための共存共栄のスローガンが今、問題になっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちが、そうすることによって自分たちが愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをしたという出来事が思い出されます」(46ページより)

この演説は、当時日本対して厳しい制裁処置を求めていた一部の戦勝国を動かしたと言われています。

日本の国際社会復帰への道にもつながったに違いありません。


こどもいろPCモバイル共通記事中 –>
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パラオ

パラオには他の国以上にページが割かれていましたので、著者にとってパラオは思い入れのかなり深い国だと感じました。

 

・植民地下のパラオについて

パラオは1885年にスペインの植民地になった時から筆舌に尽くしがたい苦労をしてきました。

圧政、虐殺、天然痘などで6万人の人口が1/10の6000人にまで激減したそうです。

1899年ドイツに売却されましたが、搾取と略奪は変わりませんでした。

日本が第一次世界大戦終了後、パリ講和会議で委託統治領となった時からパラオは大きく変わり始めます。

帝国主義の白い蛮人たちはパラオの人々を人間とは思っていなかった。教育も与えず、インフラ整備も一切行わない。いかに搾取するかだけを考えた統治だった。

しかし、日本は違った。学校、病院、電気、道路などのインフラ整備を行い、住民の生活向上に力を入れる。特に教育に関しては、日本本土とまったく同じ人種差別なき政策を実行。

優秀な子供たちが続出し、「パラオ人も、やればできる」と彼らに大きな自信を与えた。(57ページより)

日本敗戦後にパラオはアメリカ統治となり、日本叩き教育(神社を破壊、日本はパラオ人を虐殺した、日本は残虐などなど)を進めたのですが、結局パラオ人は日本嫌いになりませんでした。(1994年にパラオは米国統治から独立)

 

・ペリリュー島の戦い

パラオにはペリリュー島という、あまりの美しさにわれを忘れるほど(著者談)の島が存在します。

かつてここではアメリカ軍と戦った若い日本兵たちが「確実に負ける。必ず命を落とす」という覚悟のもと、数多く死んでいきました。

その思いは、「一日でも長く、日本に生き延びてほしい。故郷の家族、仲間たちに生きてほしい」の一心だったと言われます。

 

日本軍と米軍の差は、日本軍が95式戦車(バズーカ砲で貫通する粗末なもの)16両に対し、米軍は当時最高峰を誇るM4シャーマン戦車が117両。

日本兵の小銃は旧式のおもちゃのようなものに対し、米兵は自動小銃や機関銃、海からは艦砲射撃、空からは爆撃と、まるで勝負にならない戦いだったそうです。

このような中、アメリカ軍は2、3日で戦いをかたづけて、浜辺でバーベキュー大会をやろうとまで話していたそうです。

 

それが蓋を開けてみれば、長くて3日と言われていたのに日本兵は73日間も持ちこたえました。

ジャングルを焼き払われ、島は丸裸になったのですが、日本兵は多くある洞窟に立てこもりゲリラ戦を展開。

しかし水・食料がなくなり、最後は弾薬まで底をついたことから司令部は玉砕を決定したそうです。

なぜ日本兵は命は惜しまず戦ったか?なぜ鬼畜米英と言ったのか?

それは、白人植民地政策を知らずして語ることはできない。当時は有色人種国家のほとんどは白人の植民地。その政策は残虐そのものに尽きる。

人間を家畜のごとくこき使い、婦女子を犯し、子供であろうとも虐殺する。そのことを日本兵は知っていた。彼らの残虐さを。

「一日でも長く日本を守りたかった。一日でも長く、愛する故郷、愛する女房子供、お父さん、お母さんを守りたかった」

その思いに尽きると私は思う。(68ページより)

 

この戦いに関しては、他に美談と語り継がれている話があります。

日本兵とペリリュー島の人々は、共に語り、唄い、手をつなぐという固い友情で結ばれていました。

島民は日本軍人を愛してやまなかったと言います。

いよいよ戦争末期になりアメリカ軍が押し寄せてくることがわかり、戦闘能力の圧倒的な差から日本軍玉砕は確実視されていました。

島民はその時、愛する日本兵と共に戦い、共に死んでいくことを決めたそうです。

 

そのことを中川州男(くにお)守備隊長へ申し入れたところ、日頃温厚な隊長でしたがその時だけは、

帝国軍人が貴様らごとき土人と一緒に戦えるか!」と大声で怒鳴りつけたそうです。

島民は怒りと悲しみで、島からの避難船に乗り込みますが、日本兵の見送りは誰ひとりとしていません。

船が避難先へ向かうため、島を離れた瞬間、日本兵全員が真っ白な砂浜に現れた。死を覚悟した日本兵たちが笑顔で手を振り、「達者で暮らせよー」と声をかける。

一緒に唄った日本の歌を大声で唄っている。涙で顔を濡らす兵士もいる。そして、その先頭には「土人」と自分たちを侮辱した中川隊長の姿があった。(65ページより)

その他にも、パラオには興味ある逸話(韓国製の橋が崩壊して日本製に架け替えたとか)がありますが、そちらの方は本書を参考にしてみてください。



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一番印象に残ったところ

本書には、パラオの感動話の他にも様々な逸話が紹介されています。

その中で私が一番印象に残ったのは、昭和天皇が8年かけて全国を巡幸したときのとある一コマ。

 

戦争終了直後、昭和天皇はマッカーサーを訪ね、戦争責任は自分が全責任を負うことと、国民の生活が困らないように援助の申し出をしたことはとても有名な話です。

マッカーサーは歴史的にも前例がないこの昭和天皇の申し出に、「骨のズイ」まで感動したことを後に語っています。

それから間もない昭和21年2月から8年間かけて、昭和天皇は日本国中を巡幸されました。

 

「君主制は敗戦に耐えられない」ことが世界の歴史と常識だった中、戦後の治安が悪い中の巡幸に世界中は驚きました。

敗戦国の君主は国民に殺されるか国外逃亡が当然だったので、巡幸中に命を奪われるのは間違いないと皆確信していました。

ところがそこには、驚くべき日本国民の姿があった。どこに行っても天皇は群衆に歓迎され、もみくちゃにされる。

涙を流して、「天皇陛下、万歳!」と歓迎を受けるその姿に、世界中が驚いた。それほどまでに日本国民は天皇を愛し、尊敬していた。(226ページより)

国民と天皇のあり方は日本独特のものであり、だからこそ世界一の民族であり続けることができたのだと思います。

 

前置きが長くなりましたが、最後に私が感動した話をもうひとつだけ。

昭和天皇が佐賀県にて引き揚げ孤児を預かるお寺を訪ねた時、2つの位牌を抱いて座っている女の子がいたそうです。

天皇は娘に、「お父さん、お母さん?」と話しかける。

「はい、これがお父さんとお母さんです」と娘は答える。「父はソ連国境で、母は引き揚げ途中で亡くなりました」

「お寂しい?」と天皇が聞くと、娘はキリッとした表情で、

「寂しくありません。私は仏の子ですから。寂しい時には、手を合わせて父と母の名前を呼ぶと、お父さん、お母さんがやってきて、わたしをそっと抱いてくれます。だから寂しくありません。私は仏の子だから」

と気丈に答えた。天皇は少女の頭を撫でながら、

「仏の子はお幸せね。これからも立派に育ってくださいね」

と話し続ける。その目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。すると少女は天皇を見上げ、

「(アナタは)お父さん?」と言った。

そこにいた大人たちは全員が顔を覆い泣いていた。

昭和天皇は剛の風を備えた武人の一面もあったが、この時ばかりは人前をはばからず涙を流された。(231ページより)

 

まとめ&感想

本書を読んで、「知らないことは罪」だということがとても実感できました。

私たちは先代よりも平和に暮らせていますので、先の戦争で日本兵がどのような気持ちで戦い抜いて死んでいったのか、少なくとも考える義務があると思います。

今までそのような教育がされなかったことは仕方ないとしても、今後日本の本当の歴史について知る機会も増えてくると思います。

本書はメディアや新聞が積極的に報道しない内容(なぜだかわかりませんが…)だと思いますので、このような情報は積極的に学ぶ必要があると思いました。

 









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