「嫌われる勇気」の著者が書いた介護本 『老いた親を愛せますか?』 感想

岸見一郎 「老いた親を愛せますか?」


 

今日は、あの『嫌われる勇気』の著者・岸見一郎氏が書かれた介護に関する本を読んでみました。

タイトルは『老いた親を愛せますか? それでも介護はやってくる 』(岸見一郎著、幻冬舎)。

認知症になった親の介護は、子どもゆえにとても難しい側面があると、私も両親から聞いています。

それは親とまだ和解ができていなかったり、元気だった頃の親と比べてしまう、また一緒に体験した様々な記憶が目の前で消えていくことの怖さなど、

この本を読んで、親の介護はメンタル的な問題がかなりあるのだとわかりました。

本書は、この心的部分に焦点を当てています。

 

親の介護に対する考え方を変えることで、介護する側もされる側も救われることを、この本から勉強することができます。

結論としては、「ありのままをいかに受け入れられるか」にかかっているのですが、これがなかなか難しい…。

こちらではこの本で学んだことなどを書いてみたいと思います。



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本書の内容と構成

 

著者は母親が脳梗塞で49歳の時に、父親はアルツハイマー型認知症で84歳の時に亡くなられています。

著者自身も50歳の時に心筋梗塞で倒れたことがあり、その時の体験も本書に深みを与えているように感じました。

また著者は父親と折り合いが悪かったため、和解できたのは父親を介護している時だったとのこと。

 

このことからこの本は、今、親との関係が良好でない人にもとても参考になる本だと思います。

下記は「まえがき」からの引用です。

本書では、もっぱら私の母の看病体験、父の介護体験を軸に、どうすればよい親子関係を築けるか、看病、介護をする時にどんなことを心がければいいか、

さらには、親の看病や介護を通じて学んだことをもとにこの人生をどう生きていけばいいかについて考えてみたいと思います。

<目次>
はじめに
第1章 父と母が教えてくれた「人生の意味」
第2章 ありのままを受け入れる
第3章 老いた親とよい関係を築く
終章 「いま、ここ」を楽しんで生きる
あとがき

 

本書は約220ページ。アマゾンでの評価はとても高いです。

もっとも著者は『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』を書かれた心理学の先生なので、介護が与える心理的な影響についてはとても説得力のある考察をされていると思いました。

 

本書は大きく4章に分かれており、第1章は父母の介護や自らの入院のことなどについて語っています。比較的お母様の登場が多い章でした。

第2章は介護で生じたさまざまな心の葛藤を、いかに押さえながら前に進むのか、いくつかヒントが書かれています。

第3章は、介護される親が理不尽な言動をとった時、それでも良い関係をキープする方法を教えてくれます。第4章になる終章は約15ページと少ないのですが、本書のまとめ的な章になっています。

 

私は、最もページが多く割いてある(約90ページ分)第3章「老いた親とよい関係を築く」が一番参考になりました。

以下、第3章から学んだことを中心にまとめてみたいと思います。



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参考になった考え方

親が何度も同じ話をするとき

これは両親ともよくあります。同じ昔話を何度も話すのですが、以前は拒否していたものの、今は聞いてあげてます。

多分聞いてもらいたくて話しているので、こちらもそれに応えたいのですが、私は恥ずかしながらいつも寛容なわけではありません。。

著者いわく、繰り返し語られる話は親にとって重要な話だそうで、同じ話を聞くことは大変だとした上で、話をうまく聞くコツを教えてくれます。

たとえ同じ話のように思えても、話のたびに力点の置き所が違っていたり、省略されたり、追加されたり何らかの変化があるはずなのです。

反対に、親が毎回必ず同じ話をするならば、それはそれで一字一句変わらないのかということに注意を向けて聞くと興味深く聞くことができます。

また同じ話かと思ってしまうと、親の何度も繰り返される話を楽しむことはできません。(131ページより)

話の視点をずらすということだと思いますが、よく似た話で、視線恐怖症の人が相手の目を見て話すコツは、相手が瞬きする時にどちらの目を閉じるのが速いかに意識を向けるとよい、という話を思い出しました。

親と折り合いが悪いとき

親としゃべる時、どうしても感情的になってしまう時もあると思います。

それはお互い遠慮がないゆえ、最後まで相手を尊重して聞こうとする意識が薄れるからだと思います。

私のところは夫婦関係がそんな感じです。。

 

この問題に関しては、

親が親の仮面を被っている限り、子どもは子どもの仮面を外そうとはしません。子どもではなく、友人だと思って話をすれば、意見をしなくてはと思わなくてすみます。

親として意見をいうと、それまで機嫌がよかった子どもの方も話すのをやめようと思ってしまいます。

話を最後まで聞かないで口を挟み、その上、批判までする人に話を聞いてもらおうとは思わないからです。(165ページより)

こちらは私の親だけでなく、私の家族間でも試してみようと思います。特に家内が発達障害の子と話す時に感情的になりやすいので。。

 

貢献するということ

認知症になった時、申し訳ない気持ちで一杯になるあまり萎縮してしまう人がほとんどだと思います。

私ごとですが、親は生きているだけで十分貢献してくれていると思います。

それは、特に自分が幼い頃、決して世間一般でいうところの良い家庭ではありませんでしたが、時々思い出される楽しい記憶や、

親が何度も話す自分の幼い頃のエピソードなどが親の中に存在している以上、やはり親は自分にとって無二のかけがえのない存在だとわかるからです。

その大切な親が気持よく生活できるように、著者は積極的に「ありがとう」を言うことを提案しています。

親に「ありがとう」というのは、親に自分に価値があると思ってほしいからです。

たとえ後で洗濯物を全部たたみなおさないといけない場合でも「ありがとう」というのは、洗濯物をたたむことで親に貢献感を持ってほしいからであり、さらにそのことで自分に価値があると思ってほしいからです。

たとえ何もできなくても、生きていることで貢献していることを伝えることができます。(192ページより)



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感想&まとめ

昨日は認知症当事者が書いた本『認知症になった私が伝えたいこと』を読みましたが、本書も著者でしか書けない、素晴らしい本だと思いました。

特に私の場合は親だけでなく、障害がある子との接し方の面でも参考になりました。

人が人であるために、年老いていく親とどう向き合っていくかは、子どもとして大きな課題だと思います。

ほとんどの人がそこから逃げることはできないし、私自身も年老いたら誰かに看取られるときがきっとやってくるはずなので。

 

下記は終章からの引用になりますが、親の価値について書かれています。

たとえ、目の前にいる親が、いましがたのことを忘れ、自分が置かれている状況を理解できていないように見えても、

また家族のことをわからなくなっているとしても、親の人間としての価値はいささかも変わることはありません。

家族はそれとはかかわりなく、これまでと同様に接していくことができます。

たとえ、親がやがて鬼籍に入ることがあっても、そのことは残された者の親への思いには何の影響も及ぼさないでしょう。

親はそれまでと変わりなく心の中で生き続けます。(210ページより)

本書を通じて、とても多くのことを考えさせられました。