あの黒歴史も…『ダウン症の歴史』読書感想~中世から出生前診断まで

ダウン症の歴史


 

以前から気になっていた『ダウン症の歴史』をやっと読むことができました。

ダウン症の歴史について特化した本を今まで見たことがなかったため、その意味ではかなり希少な本だと思います。

私は今までダウン症に関する本は育児書の類ばかり読んでいて、学術的な本とはあまり縁がありませんでした。

かなりはしょった感想になると思いますが、この本について思うところを書いてみたいと思います。

 

デイヴィット・ライト著『ダウン症の歴史』について

この本を読もうと思ったきっかけ

「ダウン症」という言葉で「出生前診断」を連想される方は割と多いのではないでしょうか。

でも私の場合、出生前診断とは生活上縁がなかったため、今まで積極的に勉強することはありませんでした。

仕事を辞めてから、子どものことを以前より多く考えられるせいか、上記のようなダウン症関連の話題が目に留まった時、ついつい深く考えてしまいます。

いつもきまって最後に残るのは「ダウン症ってなんだろう?」という単純な疑問。

 

もちろん、21番目の染色体が1本多いとか、特徴、その他もろもろの知識については、息子を育てているので無意識に刷り込まれていると思います。

でもダウン症のことを考えるときに、今当たり前と思っている現在の環境は、歴史的にはどのような歩みで形作られたものなのか、とても興味がありました。

このような理由で、今回『ダウン症の歴史』を手に取った次第です。



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『ダウン症の歴史』を読んで学んだこと

ダウン症ははじめ「蒙古症」と命名されていましたが、その頃からのざっくりとした歴史の流れは下記の通りです。

1866年にイギリスの眼科医ジョン・ラングドン・ハイドン・ダウンが 論文『白痴の民族学的分類に関する考察』(Observations on the Ethnic Classification of Idiots)でその存在を発表(学会発表は1862年)。

最初は「目尻が上がっていてまぶたの肉が厚い、鼻が低い、頬がまるい、あごが未発達、体は小 柄、髪の毛はウェーブではなくて直毛で薄い」という特徴を捉えて「Mongolism(蒙古人症)」または「mongolian idiocy(蒙古痴呆症)」と称され、発生時障害により人種的に劣ったアジア人のレベルで発育が止まったために生じると説明されていた。

しかしダウンに よるこの人種差別的な理論は、アジア人にもダウン症がみられることからすぐに破綻をきたした。

1959年、フランス人のジェローム・ルジューヌ(英語版)によって、21番染色体がトリソミーを形成していることが発見された。

1965年にWHOによって、発見者のダウン医師に因んで「Down syndrome(ダウン症候群)」を正式な名称とすることが決定された。2012年、3月21日を国際連合が世界ダウン症の日に認定。21番染色体トリソミーにちなむ。

※引用:フリー百科事典ウィキペディア

 

『ダウン症の歴史』は、上記引用の時代より200年以上前の1600年代から始まります。

この時代は知的・精神障害者を一様に「白痴」や「馬鹿」などと呼んでいました。

この本では大規模な隔離施設が作られたその頃から、出生前診断が行われている現代までの歴史を、俯瞰して学ぶことが出来ます。

一通り読んでみると、障害者は時代ごとの偏見の中でいつも翻弄されてきたことがよくわかります。

 

ダーウィンの進化論が信仰されていた時代、ダウン症などの障害は人類的には退化していることと決めつけられます。

それに歯止めをかけるために未成熟な社会がどのような案を選択したのかは、歴史から学ばなくても想像に難くありません。

怖いのは、社会的に正当化されてしまったことは、それに該当する者には逆らうすべがないということ。

なにかしら中世の魔女狩りを連想させますよね。

 

私たちが学ばなければいけないのは、ダウン症が広く知られることになったことは歓迎されてしかるべきですが、実はその定義づけが一番重要だったこと。

以降の悲惨な出来事を考えたとき、ダウン症の語源となったジョン・ラングドン・ダウンの評価は分かれてしかるべきだと思います。

 

過去の歴史の中で一番悲劇的な出来事

障害者にとって一番悲劇的な出来事は、やはりこの本でも取り上げられている、ナチスドイツによる優生政策(T4作戦)だと思います。

ウィキペディアによるとT4作戦は「テーフィアさくせん」と呼ばれていました。

T4作戦は ナチス・ドイツで優生学思想に基づいて行われた安楽死政策

ドイツの様々な精神病院に長期入院していた人々を、安楽死させるためにナチス政権の下で開始されました。

「T4」の語源は安楽死管理局の所在地、ベルリンの「ティーアガルテン通り4番地」を短縮したものだそうです。

この作戦の期間中の犠牲者は、公式な資料に残されているだけでも7万273人に達し、その後も継続された安楽死政策により、最終的に20万人以上が犠牲になったと見積もられています。

※上記参考:フリー百科事典ウィキペディア

 

今の世の中は、それに比べてなんて住み心地の良い世界なんでしょうか。

わが子のことや現在の環境だけを見ていると、時には自分の人生に不平不満が出てくることもありますが、歴史的背景を知ることで今の時代に生まれたありがたさをとても感じます。



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面白いと思ったところ

ジョン・ラングドン・ダウンの孫の写真この本の表紙に写っている、自転車に乗っている男の子。

誰だかわかりますか?

これはダウン症の語源となり、蒙古症を世に知らしめた、ジョン・ラングドン・ダウンのお孫さんです。

ジョンが亡くなってから生まれた子らしいのですが、ダウン症とこのような不思議な縁があったのですね。

またジョンは医師としての成功でかなりのを築いたとのこと。

ジョンは3人の息子と1人の娘を授かったのですが、死去する13年前に2人の息子同士が喧嘩して、そのうちの一人を亡くしています。

その喧嘩で勝った?レジナルドは後年、ダウン症の特徴で有名なあの「猿線」(手のひらを横一文字に横切るしわ)を発見し、世に広めました。

 

また、21トリソミーを発見したといわれるフランスの細胞遺伝学者ジェローム・ルジューヌのその功績は、実は他の研究者の成果を横取りしたものという疑惑が暴露本によって明らかになっているとのこと。

社会的な大成功の陰には、今も昔も欲がつきものなんですね。。

 

まとめ

出生前スクリーニングと胎児中絶については、いまだ論争の渦中にあると思います。

この本ではその行為を「静かな優生学」と表現しています。

著者の妹がダウン症ということもあってか、この『ダウン症の歴史』では終始、ダウン症に対してあたたかい印象を受けました。

余談ですが、ダウン症の妹さんは施設に入所していた男性と結婚しており、その結婚生活は地域ぐるみで応援・サポートしているとのこと。

著者は本を書くだけでなく、ダウン症に関する活動経験も伴っての著書ですので、今回は図書館で借りましたが、後日購入して手元においておこうと思います。

ダウン症の科学研究の歴史が提議するものは、劇的で新しい治療介入への期待よりも、謙虚さと慎重さをもつことである。ダウン症の社会史は、未来への教訓や行程表をほとんど提供してはくれない。

むしろ、社会史が教えるものは、社会統合と根絶という相矛盾する衝動を通じて、現在、私たちがどのように21トリソミーを理解できるかである。

※引用:デイヴィッド・ライト著『ダウン症の歴史』P202

 

関連書籍

キム・エドワーズ著『メモリー・キーパーの娘』
※エピローグで平均余命と文化的価値が世代間で変化したことを反映している小説として紹介。ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー小説。

大野明子著「出生前診断」を迷うあなたへ 子どもを選ばないことを選ぶ
※訳者大谷誠氏のあとがきで紹介されていた書籍。ダウン症のある子どもを育てた経験と、出生前診断の対する母親たちの心情を伝えた本とある。

山下麻衣編著『歴史のなかの障害者』
※訳者大谷誠氏のあとがきで紹介されていた書籍。障害史のパイオニア的な研究書と紹介。

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