『嫌われる勇気』に引き続き、今日は続編の『幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えII 』(岸見一郎/古賀史健著・ダイヤモンド社)を読みました。
今年3月にも読んでいるのですが、その時には前作『嫌われる勇気 』を再読してませんでした。
今回は2冊連続して再読することで、『幸せになる勇気』を前より理解できたとともに、実践する「勇気」を少し持てたような気がします。
それは、読後に家族と過ごしている時、昨日までの自分とあきらかに何かが違っていることに気づけたことです。
このような自身の変化は、良い本を読んだ後にいつも実感する感覚なのですが、悲しいことにいつも一時的になりやすい…。
できるだけこの気持が維持できるよう、努力したいと思います。
冒頭から私ごとが過ぎましたが、こちらでは『幸せになる勇気』について感じたことなどをまとめてみます。
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『幸せになる勇気』について
前作『嫌われる勇気』 は、人生に悩んだ青年が、哲人のもとを訪ねるところからはじまります。
そのとき青年は、のべ5夜を通じて哲人からアドラー心理学を学びました。
そして最後は、人生への大きな期待を抱いて、哲人のもとを去っていきます。
この『幸せになる勇気』は、それから3年後のお話。
青年は再び哲人のもとを訪れます。それも怒鳴りこみながら。。
青年は職を変え、学校の教師になったのですが、実際の教育現場ではアドラー心理学がまったく役に立たないばかりか、教育の弊害にすらなっているとのこと。
彼は3年前、確かにアドラー心理学を理解したはずなのですが、いったい彼に何が起こってしまったのでしょうか。
怒鳴ったり、暴言を吐いたりする青年に、哲人がなぜこれほどまでに青年に対して礼をつくすのか、
また、最後は意外な方向に展開していくところもみどころです。
『幸せになる勇気』と『嫌われる勇気』
前作と違い、『幸せになる勇気』は一夜限りの物語です。
この本は『嫌われる勇気』のキモとなる部分を復習しながら、青年の何が悪かったのか、哲人が順を追って解説していきます。
途中、青年の抱える問題は、青年が主張する教育現場などではなく、青年自身にあったことを哲人から暴露され、青年は激昂。
でも最後には、青年は自分の愚かさがわかり、哲人との別れを惜しみながら再び哲人のもとを去っていきます。
前作『嫌われる勇気』ではアドラー心理学の初歩的なところを解説しているように思いました。
『幸せになる勇気』は、青年の失敗体験をベースにしながら、前作の内容をさらに深く掘り下げています。
そして後半残り1/3~1/4あたりから、前作本にはなかった「愛」についての教えが展開。
このくだりは、前作では非常にわかりにくかった「共同体感覚」の理解にもつながっており、この展開には正直驚きました。
少しネタばらしになりますが、ここでの「愛」は結婚に関する愛になります。
私は結婚歴10年以上ですが、「愛」についてこの本を読むまで多分理解できていませんでした。
あまり仲の良い夫婦ではないからかもしれませんが、最終章ではなにかしら得るものがあったことは確かです。
だから今、結婚して夫婦間の悩みがある方、また婚活されている方にとっても、この本は救いになるかもしれません。
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この本で得られたもの
『幸せになる勇気』(&前作)は、巷でよく売られているハウツー本のように切り売りされている情報ではなく、あたかも人生全体のパッケージを全て見せられたような感覚です。
地図を読み、コンパスを手にしたあなたが、これからどんな道を歩んでいくのか。あるいはその場に留まるのか。
もしも本書が「幸せになる勇気」を持つ一助になれば、それほど嬉しいことはありません。(岸見一郎氏:あとがきより)
今まで、自己啓発本や心理学の本など、読まない方ではなかったのですが、ここまで人生全般を包括して書いてある本は初めてです。
それゆえ、財産と言っても過言ではない本と巡りあえたような気がします。
次回作を読みたい!
最後に青年は哲人から「今夜を、最後の面会としましょう」と言われます。
青年は寂しそうでしたが、この流れでは、もう哲人と青年の再会はなさそうです。
できれば次回作では、青年が結婚して子どもを育て、アドラー心理学が素晴らしいことを哲人(&妻)と語り合って欲しかったのですが…。
物語に登場する2人にはとても愛着を感じるだけに、続きがとても読みたいです。
まとめ
この本の前半を読みながら、デール・カーネギーの『人を動かす 』がちらちら頭に浮かびました。
そういえば『道は開ける』を連想したのは前作『嫌われる勇気』。
それは前作がどちらかというとネガティブ的だったのに比べて、『幸せになる勇気』はポジティブっぽかったからだと思います。
多分、全般的に能動的というか、前向きな教えが多かったからだと思います。
ところで『幸せになる勇気』では、「 尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと 」や「 「他者の関心事」に関心を寄せよ 」という章があります。
似たような章は『人を動かす』にもあり、「人の立場に身を置く」や「誠実な関心を寄せる」という章がそれにあてはまります。
デール・カーネギーはアドラー心理学にも影響を受けたことから考えると、そう不思議なことではありませんが、似ているところがある反面、違うところもあるんです。
たとえば『人を動かす』では、アドラー心理学ではご法度の「ほめる」ことを大推奨しています。
でも「ほめる」はあっても「叱る」はありません。
考えてみればアドラーは横の関係を重視しており、『人を動かす』とはもとから立場が違います。
アドラー心理学が難解と言われる理由は、もしかして縦の関係を許さない思想にもあるのかもしれません。