映画64ロクヨン(前編)を観に行きました。
ロクヨンについては原作を読み、去年の春に放送されたNHKドラマ(全5話)も観ています。
予備知識は持っていたのですが、今回の映画で涙がこぼれそうになったシーンが2つありました。
どちらも共通の特徴があったのですが、今回はこの2つのシーンを中心に、感じたことなどをまとめてみたいと思います。
映画64ロクヨン(前編)の感想
映画64ロクヨン(前編)は現在上映中です。
6月11日からは後編が上映されるのでちょっと焦りましたが、昨日なんとか観にいくことができました。
月並みの感想ですが、とても良かったです。
「後編」も絶対足を運ぼうと思いました。
ドラマは驚くほど原作に忠実だったのですが、映画はそれ以上に感じました。
特に冒頭の、翔子ちゃんの遺体発見現場。
ドラマでは川で発見されたのですが、映画では車のトランクの中。
小説は映画と同じくトランクだったので、映画のその場面は小説そのものでした。
今回目新しかったのは、スーツケースのメーカーを犯人が指定してきたところでしょうか。
平成14年の身代金要求の際にも、佐藤を名乗る犯人が同じ”marukoshi”のスーツケースを指定してきているので、より64の犯人像が色濃く表現されています。(小説では「大型のスーツケース」を指定)
とても効果的な演出だと思いました。
主観が入りますが、逆にちょっと残念だったのは雨宮が橋の上から身代金2000万円入りのスーツケースを川に放り込むシーン。
その時雨宮は物を言わずに悲しみに耐えていたのですが、あそこではドラマとかぶるかもしれませんが、翔子ちゃんへの思いのたけを、ドラマ以上に叫んで欲しかったです。
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キャストについて
小説を読んですぐに映画を見た人は、もしかして違和感アリアリのキャストだったのではないでしょうか。
それは主人公の三上が小説ではかなり醜い顔に描かれているためです。
ちなみに小説では、職場結婚した三上の奥さんは、部署内で評判の美人。
このため、三上との結婚は職場の七不思議の一つとされていたくらいです。
そして2人の間には女の子が生まれました。
でも運の悪いことに娘なのに顔が醜い父親似で、母親がきれいなだけに娘は母までも憎むようになります。
小説(ドラマでも)では、娘のあゆみはずっと引きこもっていたので、両親は無理やりサングラスとマスクをつけさせてカウンセリングに連れて行きました。
そして娘のあゆみについた診断名は身体醜形障害。
身体醜形障害(しんたいしゅうけいしょうがい、英: Body dysmorphic disorder ; BDD)あるいは醜形恐怖症とは、極度の低い自己価値感に関連して、自分の身体や美醜に極度にこだわる症状である。
実際よりも低い自己の身体的なイメージが原因である。俗に醜形恐怖また醜貌恐怖とも呼ばれる。
『精神障害の診断と統計マニュアル』第5版のDSM-5では強迫性障害関連症群(スペクトラム) に含まれる。その強い強迫観念から身体醜形障害はうつ病を併発する割合もかなり高いとされる。
人口有病率は、0.5-0.7%ほど。BDDのハイリスク層には、うつ病、社会恐怖、アルコール乱用、薬物乱用、強迫性障害、摂食障害などの罹患者が挙げられる。
※引用:フリー百科事典ウィキペディア
結局家出をした直接の原因は映画と同じく、あゆみが顔を全て整形したいと三上に話した時に、三上から殴られたことがきっかけでした。
映画では、夫婦共に美男美女(佐藤浩市と夏川結衣)、そして娘(芳根京子)もかわいい。
だとしたら普通に考えると、身体醜形障害はありえませんよね。
でも何をもって醜いと判断するのかは本人次第なので、そう考えれば不思議に違和感がありませんでした。
実は1年ほど前、映画発表当初は娘のあゆみ役だけが発表されていませんでした。
主人公が佐藤浩市ゆえ、映画版は娘不在なのかなと思ったのですが、フタを開けてみたら原作通り。
この部分が今回私が一番意表を突かれてしまったところです。
ちなみにドラマでは三上夫婦はピエール瀧と木村佳乃。娘は入山杏奈です。
ピエール瀧も決して醜い顔ではないので、ドラマで慣れたから映画でも違和感がないのかもしれません。
余談ですが、ドラマではピエール瀧の滑舌が気になったのですが(時々聞き取れなかった)、佐藤浩市はその点さすがです。
佐藤浩市がうますぎるだけに、今回は同じ刑事役の赤井英和の滑舌が少し気になってしまいました。
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感動したシーン
ジーンとした場面はところどころありましたが、その中でも私が心を動かされたのは、小説やドラマになかった下記の2シーン。
①幸田と三上が言葉を交わす場面
②雨宮宅の仏壇の前で手を合わせた後、三上が雨宮の前で泣き崩れる場面
①のシーンは映画を観た人でないとわからないと思います。
何故かと言うと、小説もドラマも、幸田と三上が話すシーンはなかったからです。
幸田は人情があり嘘がつけずとてもまじめな性格です。
幸田メモの存在がこのロクヨンのひとつの鍵になっているのですが、この幸田役を吉岡秀隆が演じています。(ちなみにドラマでは萩原聖人)
三上をはじめ県警全体を憎んてもおかしくないのに、それとうらはらなあの優しい物腰。
三上と幸田が言葉を交わすのはほんのわずかなのですが、その演出についホロっときてしまいました。
これは吉岡秀隆さんのあの人柄によるものでしょうね。
②のシーンはドラマでは不完全燃焼だったシーンです。
小説では、三上が雨宮の前で取り乱して泣いてしまうシーン、短いながらもかなりの演技力が試される場面でした。
ドラマではピエール瀧がこの場面をどの程度演じてくれるのかを期待していましたが、演技自体ほとんどなかったため、かなりがっかりした覚えがあります。
今回の映画では、小説のこの名場面を佐藤浩市がきっちりと再現してくれていたので、とても満足度が高かったです。
後編への伏線
後編への伏線がいくつかありましたね。
・幸田が警備会社をいきなりやめたこと
・雨宮の荒れた指先のアップ
・雨宮が急に散髪していたこと
・複数の警察署員宅にかかってきた無言電話(実は小説では銘川老人宅にもかかってました)
ぱっと思いつくのはこの程度ですが、他にもあったかもしれません。
全て回収されますので、私も知らないふりして?楽しもうと思います。
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ドラマで泣いてしまったシーン
これは全くの余談ごとですが、ドラマで思わず涙してしまったシーンを一つ。
ある夜、三上が疲れはてて玄関のかまちに座りこみ靴を脱いでいた時、背後から娘あゆみのまぼろしが三上に声をかけるシーン。
家出した時のつらい顔ではなく、にこやかな笑顔で微笑みながら三上をねぎらうあゆみ(入山杏奈)。
三上演じるピエール瀧がこれまたやさしい顔と声でそのまぼろしのあゆみと普通に会話するんです。
途中ハッと我に返って後ろを見ると娘の姿が見えず、急いで2階(あゆみの部屋)へ駆け上がろうとして、妻(木村佳乃)に呼び止められる場面。
この場面は小説にはなく、当時私の娘も精神的にまいっている時だったので、思わず涙が出てしまったシーンでした。
一瞬あゆみは死んでしまったのかなと思ったのですが、ドラマではあゆみは結局帰ってきませんでした。
小説の方でも帰ってこなかったのですが、実は映画の最後に若干期待しています。
あゆみが帰ってきて欲しい、という声がドラマ時に多くあったと思いますので、そこのところも映画では小説のままなのか、それとも変えてくるのか非常に興味あるところです。
まとめ
映画ロクヨン前編は、とても素晴らしい出来で満足度は高かったです。
小説とドラマを見ても尚、映画を観てよかったと感じられた映画でした。
後半はスケール感が前編よりふた回り以上大きくなるので、もう今から待ちきれません。
そして後編は、どんなシーンに心動かされるのでしょうか。
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